「金は天下の回りもの」
昔からよく耳にする言葉ですが、若い頃の私は「そんなわけないだろ。出て行ったお金が戻ってくるなんて都合のいい気休めだ」と本気で思っていました。
しかし、人生の大きな挫折を経て、自分自身の生活と働き方を見つめ直してきた今、この言葉の本当の意味が、静かに、そして深く腑に落ちています。
今日は、お金を貯めるだけでは決して気づけなかった「お金の本当の巡り方」について、私自身の体験を通してお話ししたいと思います。・・・
絶望の中で知った「社会から受け取る循環」
かつての私は、精神疾患の悪化により働くことができなくなり、無職となりました。貯金も底をつき、先が見えない不安と絶望の中にいました。
そんな私を救ってくれたのが、実家での暮らしと「障害年金」という社会保障の仕組みでした。
社会全体で支え合っている制度からのお金によって、私は日々の生活を繋ぎ、心を落ち着かせ、少しずつ自分を取り戻すことができました。このとき初めて、私は「お金という形で、社会から温かな循環を受け取っていた」のだと知りました。
そこから私は、無理のない範囲で将来のための備えを始めました。また、少額ですが、新NISAを活用し、コツコツと積み立てたりしています。
しかし、節約し、貯金を増やし、投資の数字が増えていくだけでは、心のどこかで「天下の回りもの」という言葉に対する違和感が消えませんでした。お金を自分の手元に溜め込んでいるだけでは、「巡っている」という実感が湧かなかったからです。
毎月1,000円の寄付と、地域の無料サポート
転機となったのは、小さな一歩でした。
私は「3年間、毎月1,000円ずつ子ども食堂へ寄付する」という活動を続けてきました。金額としては決して大きくないかもしれません。けれど、この毎月のお金は、確実に子どもたちの温かいごはんになり、居場所づくりになり、安心感という価値に変わっていきました。
さらに、自分ができる地域貢献として、「地域の方のスマホやパソコンのお困りごとを、無料でサポートする」という活動も始めました。
デジタル機器の設定や操作に困っているご近所の方々に寄り添い、解決して喜んでもらう。そこでお金を受け取ることはしませんが、「ありがとう」という笑顔や温かい言葉が私のもとに返ってきます。
この2つの体験が重なったとき、パズルのピースがピタッとはまるように気づいたのです。
なぜ「寄付」と「貢献」で言葉の意味が分かったのか
節約や投資は、「自分のお財布」と「証券口座」の間でお金を移動させているだけに過ぎません。どれだけ数字が増えても、お金は自分の所有権の中に留まったままです。
一方で、子ども食堂への寄付や地域での無料サポートは、自分のお金やエネルギーを「社会という大きな循環の海」へ一度完全に解き放つ行為です。
受け取った循環(障害年金や地域の支え)
未来と他者へ渡す循環(子ども食堂への寄付、地域サポート)
自分が社会から助けられたように、今度は自分のできる範囲で、次の世代や地域の人々へエネルギーを巡らせる。自分の手元を離れたお金や時間が、誰かの笑顔や安心に変わっているのを目の当たりにしたとき、初めてこう思えました。
「お金とは、溜め込むものではなく、社会を豊かに巡らせるためのエネルギーなんだ」と。
自分がその巡りの中に組み込まれ、正しく機能しているという感覚。これこそが、若い頃には決して理解できなかった「金は天下の回りもの」の真意でした。
お金も心も、巡らせることで豊かになる
「お金が増えれば幸せになれる」と思っていた頃よりも、少額でも誰かのために巡らせ、自分の得意なことで地域のお役に立っている今のほうが、心は遥かに満たされています。
手元にあるお金は、自分だけのものではありません。社会から預かり、活かし、また次の誰かへ手渡していくもの。
これからも自分の身の丈に合った生活を大切にしながら、子ども食堂への寄付や地域でのサポートをこつこつと続けていきたいと思います。私のもとを巡っていった小さなエネルギーが、今日もどこかで誰かを温めていることを願いながら。